僕はほぼ日Pの「パクりパクられて創るのさ」という曲が大好きだ.
http://www.nicovideo.jp/watch/sm11591612
パクリ曲だらけと言われているオザケンを「パクった」曲をつくり,
ゆのみPのトレス疑惑にファビョるやつらを皮肉って痛快に批判するとともに
「創造」という行為の本質をえぐっていると思うから.
”比べてみたら足がつくような パクリをするのは所詮素人
憐れむくらいで そっとしてあげて”
”意図的なパクリはもっと巧妙 三度上げたり単調にしたり
譜割を変えたり 足したり引いたり”
この曲にはパクリの素人とパクリの玄人しか出てこない.
そして,パクリの玄人の作品は「パクった」ことを観客に感じさせないし,バレもしないのだそうだ.
僕は創造的行為をする人は二種類しか存在しないと思っている.
パクリの素人 または パクリの玄人.
「オリジナリティ」とかいう虚妄に騙されちゃだめだ.
「オリジナリティがない」
それは,パクリの玄人が自分の地位を守るために使う方便だ.
競争相手は少ない方がいい.
宮崎駿の「となりのトトロ」の元ネタは「三匹ヤギのがらがらどん」なんだそうだ.
横井軍平はゲームの「十字キー」を「ジョイスティック」をまねて発明した.
凄いことだと思う.これぞパクリの玄人.である.
「大勢のパクリの素人軍団」に選抜がかかって,成長して「パクリの玄人」ばかりが目につくようになったのが今の日本だ.
中国や韓国が他人の作品・製品をパクリまくってると豪語する日本人が多いけれど,それは自分たちも利用した「創造の本質」を忘れすぎだと思う.藤子不二雄の初期の作品なんて手塚治虫まるパクリだし,手塚治虫はディズニーと洋画,アヴァンギャルドのパクリだ.「強烈なパクリの玄人」は「大勢のパクリの素人」から選抜され,成長し生まれてくるのだ.面白いものに厳しい客の前では,強烈な自然淘汰が働くわけだから.
トレースだのパクリだのと言って他人の創造物をdisっている場合じゃないと思う.
”どんな人だって無から有は作れはしないし”
”お互い様ってパクリパクられて生きていくのさ”
今の日本は二次創作の文化があるのが救いだが,
自分でトレースする気もない連中が「あいつの作品はパクリだ」とかいって将来の「パクリの玄人」候補をつぶしている日本の現状は,割と末期的な気がしている.
エジソンはスワンの電球をパクった.
ワットの蒸気機関はニューメコンのパクりだ.
アインシュタインの相対性理論はポアンカレのパクリだ.
やつらはパクリの玄人だ.
オリジナリティ?個性的な自分??
敢えて言うなら,他人の線をトレースする際の「手振れ」.それがオリジナリティだ.
創造的行為は,何か才能のある人間の特権ではない.
「所詮素人」なパクリから,すべてがはじまる.