付加価値とMarket Capと投機

【注】頭の整理のためにポエムを書いているので、読みやすさや論理の繋がりは、まったく重視していない。

 

 

ヤフー安宅さんの講演を聞いていたら、

現代は、確定した付加価値よりも、Market cap、「未来に生み出されるであろう価値」によって富が生み出されていると言っておられた。

 

以前、自分自身が技術ベンチャーにたまたま関わってしまったことがあって、よくわかる。ろくに利益が出ていない段階なのに、将来的にそこに市場がありそうだという雰囲気と、創業者の熱意と行動力によって、ガンガンお金が引っ張ってこれる。

 

まず、冷静な感覚として、なんだか怖い。例えば、本の執筆を業として営むとする。10万部売れるコンテンツは、本当に一握りだ。にもかかわらず、本が1冊1000円だとして、印税率10%だとすると、10万部売っても、たかだか1000万円の利益にしかならない。執筆事業によって、付加価値を生み出すというのは、何冊も本を書き続けて、たまにあたりを引いて、、ひどく大変なことなのだ。

 

一方で、VCから得られる投資金額(そのままMarket capに反映される)は、この実感から乖離している。だから怖いのだ。

資本家を納得させられるような技術的な根拠、未来を語りそれに共感させる力、そして時流。「まだ、何かを生み出したわけでもないのに」お金が入ってくる。もちろん、この時価総額は、何かを生み出すために拠出された資金であるし、お金を受け入れるほど事業に制約が課されると考えるべきだが、それは創業者側の見方である。単に企業を外から見た場合、会計上の「会社の価値」は投資を受けた途端に膨らむ。

 

時価総額という言葉は、Tech系の会社にとって、利益や資産の反映になっているだろうか?いや、ちがう。Magic Leapは、製品すら市場に出ていない状態で、えげつない額の時価総額(2016年秋には約5000億円)になった。「こんな金額を、売り上げとして出すには、何年かかるというんだ。」安宅さんはTeslaを例に挙げておられたけれど、たしかに売っている車の台数が、TOYOTAとは全然違うよね。

 

未来への期待により、富が集まり、その富によって預言を叶えるように(もちろん多くはかなえられない)、世の中に変容をもたらしていく。

 

世界的な金余りによって、「新興国市場にお金を投入して、人口が増大する力に合わせて付加価値を回収していくゲーム」から「妄想にお金を投入して、預言成就をさせる"過程"で、富を生み出すゲーム」に確実にシフトしていて、いまやその先が見え始めている。

 

安宅さんがポロっとこぼしていたんだけど、付加価値とMarket Capと投機、って言っておられたように思う。

 

 

よく考えよう。資本主義的には、

 

 

「お金はお金を生みさえすればよい」

 

 

付加価値への投資はしつくされた。Marcket capへの投資すら、食いつくされつつある。セラノスみたいな「謎ユニコーン企業」ができてしまうのは、お金が全然流動してないからだ。技術的根拠が薄弱な企業が巨大な時価総額を記録してしまう時点で、「未来を変えうる」というお題目、妄想への投資も、消費しつくされてしまったというサインなのではないだろうか。技術的な観点や未来を変える妄想ではなく、、VCのみんなが投資しているんだから安心に違いない、という心理が、ユニコーン企業を生み出している。

 

今後生じるのは、投機による、お金の流れの増大。なんだか漠然とした将来への期待感とブランドによるテンションの集中だけがあって、短期的な利益を求めてぐるぐるぐるぐるお金がやり取りされて、富が出現する。

 

 

暗号通貨の盛り上がり、インターネットによるシェアリングエコノミーの盛り上がり、AIの盛り上がり、、、

 

 

なんだか共通点が見えてきている気がする。

これからは、投機が投資を呼び、投資が付加価値を呼ぶ時代なのかもしれない。

 

お金が余っていて、人口増大のピークアウトが見え、採掘されるべき資源も採掘しつくした現在、資本主義は我々の妄想を食って生きていくしかなくなる。

 

 

ろくでもない時代だし、未来を変えたい人間たちにとって、舞台は整ったとも言える。