ぼくたちが戦っているもの1

時代は北宋の中期,中華で暮らすひとびとの格差が歴史上類を見ないほど広がっていた.
大地主をはじめとする資産家が無限に等しい富と権力を得ている一方で,農業に従事するひとびとは奴隷も同然で,生涯賃金を100倍しても資産家のもつ富に遠く及ばなかった.
北方の遊牧王権に逃げていく人々は後を経たなかった.
その状況を憂う皇帝神宗は,天才,王安石にその改革を託した.

俗に言う「新法」の始まりである.

中流階級出身,地方行政をいくつも歴任した王安石は,その経験を活かし巨大な中華の統治システムの根本治療を開始した.

・税制を改革して,持っている資本が多ければ多いほど課税を行った.
とくに大地主や大商人,資産家たちに重税を課し,それを中流階級に再配分した.
・少額・利率の低い融資を多数行うことにより,スモールビジネスを簡単に始められる環境を整えた
・北方騎馬遊牧王権に戦えるように軍備を増強した("脱走"を阻害したとも考えられる).
・物流に介入し,寡占による商品価格の不当なつり上げを禁止した.
・そして何より,詩歌だけでなく,自分のような行政の才を持つ官僚を再生産するために「科挙」を完成させた
科挙はその前もあったのだが,宋の王安石の変法で完成をみる)


新法の施行は宋を豊かにした.
その繁栄をして,歴史学者内藤湖南は「唐宋変革」と呼ぶ.

・鉄砲(の原型,火槍)が発明された.
羅針盤と共に,容易に沈まないジャンク船が作られ,南方との貿易が始まった.
眠らない街が出現した.「東京開封府」と呼ばれた宋の首都は世界最大の都市になった.(われらがトウキョウの語源だ)
・石炭を料理に使い始めた.強火でパラパラの焼き飯を作る.中華料理の原型である.
二毛作が普及した.当時,温暖化が起きていたが,気候に合わせた品種をいち早く利用した.
・印刷技術が普及した.科挙のさいに,無数にある都市で全く同じ問題を出題できたのは,印刷技術のおかげだった.
・当時の"科学者"沈括は「石油が次のエネルギー源になりえる」とさえ説いたと記録されている.

豊かになった宋は,平和を金で買えるようになる.
新興国との軍事的・政治的駆け引きに失敗して南方に後退したが,豊かな物資を提供する約束で停戦し,その豊かさは維持された.
人口は1億人を突破した.


王安石の新法は既得権益の破壊を伴っていた.
反動があった.

中華の富をほしいままにしていた大地主,市場を独占していた大商人,既に皇帝に重んじられていた官僚たち,王族がこぞって反対した.
その反対を押し切って新法を進めるためには,皇帝神宗は王安石専用の特別組織を,既存の統治機構とは独立に作らなくてはならなかった.
最後には神宗は王安石を守り切れず,罷免せざるを得なくなった.


王安石がやったことはシステムの改革である.
王安石がいなくなっても,網目のように張り巡らされた新システムは止まらなかった.
表面上の新法派の人間を放逐しても,科挙によって国富の思想をインストールされた若手官僚が次々と都用され,
貧富の差は是正され,新しいビジネスが勃興し,宋は半自動的に豊かになっていった.
家庭の中で1-2名くらいは働いていなくても,なんとか養えるほどに.


とここまでは前置きである.

問題は南宋だ.

時代が下ればくだるほど,ひとびとは自分たちがなぜ豊かなのかを顧みなくなっていた.
その豊かさを自明のものと捉えて,思弁的な戦いにあけくれた.
そして出現する.
旧法派をあがめる朱熹による「朱子学」である.


朱子学は性即理をはじめ,仏教が持つ高度な思想体系と同程度の理論的枠組みを儒教に与えたとされている.
しかし,ひとびとの生活レベルでの実践のしかたのひとつは.間違いなく.
「男尊女卑」だった.

・女性は纏足をはじめた.その方が美しくおしとやかだから.
・女性は貞淑を求められ,伴侶に付き従うこと(そして庇護欲を刺激すること)が望まれた.
・仕事をしないで,家にいることが期待された(纏足したらそもそも家事すらほとんどできないわけだが)

朱子学の思想を体現した女性のライフスタイルは,果たして社会に実装された.
きっと,朱熹の思想を体現する女性は,可憐だったのだ.
そして,驚くべきことに,宋には*働かずに家にいて夫に従う貞淑な家族を養うだけの豊かさが,多くの家庭にあった*のである.


王安石の新法が死ななかったように,
女性の習慣も受け継がれていった.
科挙を廃止した大元ウルスも,辮髪を強要した清朝も,
ついには朱子学に基づくライフスタイルを廃絶させるにはいたらなかった.
むしろ,異民族として中華にやってきた遊牧に親しむひとたちが,積極的に纏足したとされている.
朱子学李氏朝鮮,そして日本にも波及する.
明治維新後,儒学への回帰が様々な側面でおきたために,
日本にこそ朱子学が根付いている,ともいえるかもしれない.





妻より先に育休が終わり,先に給料をもらう立場に戻ったとき,隠れた庇護欲が喜んでいるのを感じる.
妻が出産後,半年を待たず職場復帰するという話を聞いた多くの人が「奥さんの育休あけるのすごく早いですね.」と言う.
ぼくたちが戦っているライフスタイルには,1000年の歴史が横たわっている.



つづく