Googleで検索すると、多くの知識にアクセスできる。ぼくは、少し前までは、検索して得た多くの知識を総合した結果、より”客観的”な事実に到達できると思っていた。
けれど、いまはそう思っていない。
信じたいものを信じる時代における情報提供について考える - Edelmanedelman.jp
人間は信じたいものを信じる。
そして、信じたいものを発見するために、Googleを利用する。
5人のうち2人が「事実はさほど重要ではない」と回答し、65%の回答者が自分と意見が合わない人々や組織のことを聞かない、64%が重要な社会的問題に関する自分の見解を変えないもしくはめったに変えないとの結果がでており、グローバルよりも人々の意見や考え方が偏りがちであることを示唆しています。
上記の記事によれば、嘘が嘘だと分かったとしても、「真実」を見つめずに、自分が信じたいものを肯定してくれる情報を、人間は見続けるという。
ぼくは、発明的でありたいから、「発明的な情報」を発見しているのだ。たぶん。
あぁ、なんと恐ろしい。
自分が信じたいものを信じて、それを支えてくれる情報に満たされているインターネットというのは、なんとも慈愛に満ち溢れていることか。
最近考察しつづけてきたことをシンプルにまとめると、
しあわせの構造とは、自分が納得感を持てる情報/状態を、納得できる経路で手に入れて、それを脅かされない、ということによって発生する。
ということだ。
終焉を迎えつつある近代の価値観で例えるならば、
自分が納得感の持てる状態=結婚
納得できる経路=恋愛
それを脅かされない=正社員
みたいな感じだろうか。
ほかにも、行動第一に考え、たのしそうに生きる人であれば、
自分が納得感の持てる状態=自分で見聞きした情報を信じて行動するスタンス
納得できる経路=「自分が」動いて身に着けてきたスキルやら体験
それを脅かされない=「自分が体験した」こと以外には健全な疑問を持つ
anti-原発運動であれば、
自分が納得感の持てる情報=原発は危険
納得できる経路=Google検索
それを脅かされない=同じ意見の仲間との共感
SEOの先にこんな世界があるなんて気がつかなかった。
ぼくにとって、Google検索は情報収集の一部にすぎないから、Googleに書いているだけだとまだ「納得感」が得られないが、きっと書籍までぼくの情報検索に最適化されてしまったら、きっと「真実」を感じ始めるだろう。別の人々にとっては、"ググった"という事実によって、「納得できる経路」を通っていて、その情報を信じる準備はできているのだ。彼らにとって、移民を排斥すれば自分の給与が上がるという情報が、この世の真実。
しあわせという構造は、比較の否定により強固になる。すなわち、情報の比較を断ち切ることによって、しあわせは発生する。SNSには、自分と同意見のbotや、自分と共感できる人々が溢れていて、容易に「共感」を生み出す機能がある。「共感」を強めて行けば、他の世界は見ないで済む。比較の否定である。
Post Truthの時代というのは、衆愚の世界といいながら、実のところ、納得感で満ち溢れた幸福な世界への入り口かもしれない。