二人がここにいる不思議

結婚して、子供がいて、いろいろ思ったのですが、

「不幸になれなくなった」

という点もひとつ挙げられそうです。
ぼくが何もしなかったら死んでしまう、あるいは、とてつもなく心身の健康を損なってしまう存在が近くにいるということは、

自分が不幸だとか、幸せだとか、どのようにみられているだとか、どのようになりたいとか、そういった思考を停止させる。

シンプルに、子育ては、妻を支えることは、思考停止ツールとして優れていると思う。

現代社会は、とくにSNSの発達した社会では、余計なことを考える時間が多すぎる。オカネがあるとかないとか、生活レベルがどうしたとか、合理的しこうのうりょくがどうしたとか、レースで一番乗りしたいとか、そういったことは基本的には人生にはあまり関係が無い。けれども、かんがえてしまう。
ぼくの仕事は、特定の領域ではトップを取る以外には、ほとんど価値がない。だから、なおさら、自分を値踏みし続けることになる。ところが、この2年間、

息子と妻の笑顔と、健康と、その継続に注目せざるをえない。圧倒的な量の日常雑務にまみれた、やすらぎの世界だ。

明日の保育園の準備と、定期検診の予約をして、乾燥機から洗濯物を出しながら、受け取れなかった宅配便の再配達依頼をやっていなかったなと思案しながら、
かつての競争相手が遠いところで勝利を収めるのをぼんやりとやすらかに眺めている。