素粒子

とんだ食わせ物だったが、読み終わった。

https://www.amazon.co.jp/素粒子-ちくま文庫-ミシェル-ウエルベック/dp/4480421777

以下ネタバレあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この小説はハードSFだと聞いて読み始めて、最初の章はそういう予感があって実によかったのだけれど、その後はまじでSF出てこない。まだSF出てこない。まだSF出てこない。おいおいもう終わるぞSF出てこないぞ。なんだよこれ。

それなのに、激しく感動させられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


この話の主人公は、父が異なる兄弟だ。
端的に言えば、二人は性的弱者である。
性的に奔放な母から生まれたのだが、
兄のブリュノは醜さから、弟のミシェルは科学に耽溺しすぎてしまうあまり、
異性とうまく付き合うことができない。


ブリュノは幼い頃からずっと性的に受容されず、愛情を受けることもなかった。
(とはいえ、結婚して子供もできるんだけど。妻も子供も愛せず、離婚して孤独になり、性欲だけが暴走していくんだよね。。ここら辺は、結婚できる時点で幸運、みたいな考えのひとには何じゃらほいですけど、公平な視点だと思う。)
性的なコンプレックスから、風俗街に頻繁に出入りし、
ついには、じぶんを性的にも人間的にも認めてくれる女性、クリスチャーヌに出くわす。つかの間の幸福を享受するが、その幸福を維持するためには、自分自身を擦り減らしすぎている。


弟のミシェルには、本来こころを通わせるべき幼馴染(アナベル)がいたのだが、
科学に思考を囚われてしまって、うまくコミュニケーションが取れない。
幼馴染の美女が浮世の男性たちに翻弄されていくのを放置して、水滴の動きか何かに熱中したりしている。中年になってようやく、自分が、誰とも根本的にはコミュニケーションをとれていないことに気がつく。(研究とのかかわりで尊敬する同僚の退職を、ついに一度も飲みに行かなかったなぁ、と思いつつ見送るシーンはすごい良かった)
そうして、ようやく"男どもに玩具みたいにされた"幼馴染と一緒にいることを決意するのだが、やはり、もうそこには「愛」というよりは「代償行為」のような関係しか残らない。
最後は孤島でひとり、大きな研究成果を残して自殺する。

 

 


ミシェルとアナベルの関係は、

まるで「私を離さないで」のワンシーンみたいな雰囲気だった。

あーいう、
結ばれたのに満たされない男女の表現って、なんていうんだろうね。
鬱々としている自分には、透明感あって謎のヒーリング効果あるね。

 

 

 

 

 

 


結局のところ、二人は人生において「愛」を知ることがなかったのだ。

 

 

 

といった趣旨のことが書かれているが、彼らを叙述する文章の力強さは、けっして二人に失望していない。

 

 

「愛」を知ることは無かった。

 

だけれども、だからこそ、その人の人生は祝福されるべきだ。人生はいとおしいのだと。1回しかない人生に対して、苦悶し続けるその姿は、生きていることそのものだ。ウェルベックはそう言っている。

 

 


物語の中盤にユートピアについてを兄弟が議論していて、
ハクスレーとか、トマス・モアとかに関する(ウェルベックの)論が展開されるんだけれど、本当に素晴らしい。「我々が肉体的な死から逃れることができない」「代償として、愛は残酷なものとなる」

ブリュノとミシェルが語り合う様は、動物性と合理性が見事に溶け合っていて、感覚を揺さぶられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

とりあえず、この本は、素粒子レベルの現象が、人間の意識を決定しているという超スリリングハードSFでは無いんだということを納得するために書いた。ハードSFではなく、人生を愛していない人々に贈る、その傷ついた勇気への賛歌でした。