じんるいについて考えてみた

息子を抱きかかえ、哺乳瓶でミルクをあげながら「もう少しで哺乳瓶を卒業だよ」と声をかける。息子は、赤ん坊が幼児の間のような表情だ。半妖のような瞳で、夢中でフォローアップミルクを飲んでいる。生まれたばかりの息子への授乳を思い出して、あるいは、これからやってくる息子の可能世界の思い出に酔い、涙が出そうになった。

 

息子は尊い。妻と三人で取った写真から流れ込んでくるのは、途方もない暖かさ。

 

僕の仕事あるいは宗教の究極的な目的は、人類の生存を脅かす負の要因を取り除くこと、あるはそのために使える選択肢を増やすことだ。関連して、よく人類史などを紐解く。いつも頭の中に世界人口の予測カーブがある。世界人口は2050-2100年あたりでピークアウトして減少する。どうして、我々は子供を作るのをやめようとしているのだろうか。こんなにも素晴らしいのに。こんなにも尊いのに。

 

おそらくはホモサピエンスが生じる以前から続いているネオテニーの連鎖。私たちの父母の結婚式の写真を見ると、当時の来賓(50-60歳やそこらだろう)の顔に刻印された年月は、どうみても今の70歳になろうとしている父母よりも深い。日露戦争時の陸軍少佐の写真を見たことがある。30代前半ですでに老成していた。世代を経るごとに減速する老化。人類社会を貫く若返り運動は、ついには、子供のために自分の生活レベルを落とし、年月を肉体に刻印することを苦痛ととらえる、永遠の青年たちを生み出したのかもしれない。僕もその一員である。

 

人口予測は様々ではあれど、息子が自身の平均余命に近づくとき、世界規模での黄昏がはじまると考えられている。淡々と降るフィナーレの雨のなかを、精一杯生きていこう。